yiyin31405222’s diary

二万年後の銀河を考える。

ジョン・ナック 日本における二里頭文明

「ジョン・ナック 日本における二里頭文明」

 「禹」について語った私ジョン・ナックは、次に、21世紀の Yin Yi の「宇宙の組成と日本人の組成」という短い文章の「パーセンテージの類比」に触発されて、日本史の真なる基層を掘り出して、皆さんに明示したいと思います。
 宇宙の組成の第三番目が「元素」であって、日本の造化三神のうち第三番目に出現するのが
神産巣日(カミムスビ)の神です。このカミムスビの精神が、伊邪那岐(イザナキ)と伊邪那美イザナミ)との天地創造譚の基本をつくり出すのです。キリスト教で言う三位一体の中の「聖霊」の役割です。
 この神産巣日神はとくに、阿波の忌部(伊部ともいう)氏と伊勢の度会氏の中心祭神であることは、皆さんご存知でしょう。既に察しのいい方なら、両氏、共通に「伊」があることを承知されることでしょう。イザナキもイザナミも「伊」から始まる名前ですね。
 カミムスビ天地開闢の祖であって「全ての命の元」でしょう。
 カミムスビのムスは「苔のむす(生す)まで」の由来で、当然「君が代」にある生命の誕生を表記しています。ですから高天原の出現も、その後の葦原中つ国(地上)も、そして黄泉の国もカミムスビ神と関係しています。
 さて禹の「五穀」神話は、少しだけ触れました忌部氏と深い関係があるわけです。これもお察しのように「阿波」が「粟」の産地の重要性からの出現であることは自明の理です。
 話を「禹」に戻してみましょう。想定できることは洪水を征したところは中国中原の黄河の支流「伊川」地域であったわけです。数多くの支流が合一する地点こそ禹の活躍の場所でした。そして中原の中心がいわゆる「豫州」と言われる場所で、古代には象が生息していました。多くの学者はこの「豫」から讃岐の金比羅山が古来から「象頭山」と呼ばれていた根拠としています。
 さて、日本の起こりは「古事記」に述べられていますように、淡路の穂の狭別(ホノサワケ)、次に伊豫の二名の島(四国)、この島には四つの顔があり...愛媛も伊豫と呼ばれていますが、もとは四国全体が「伊豫」と呼ばれているのです。そうです、記紀的には、四国が日本の初まりなのです。
 とくに阿波の国を大宜都比賣(オホゲツ姫)と言ったことが注目されます。大粟山の麓に「上一宮大粟神社」が鎮座していますが、このオホゲツ姫の件には、須佐之男命が、食べ物を穢して差し出すのだと思い大宜都比売神を殺してしまった。その後、殺された神の体から、頭に蚕が生まれ、二つの目に稲の種が生まれ、二つの耳に粟が生まれ、鼻に小豆が生まれ、陰部に麦が生まれ、尻に大豆が生まれたのです。
 もちろん黍は、国名の「吉備」を想定せざるを得ません。吉備は弥生時代からの塩の一大生産地でした。一方、浦間茶臼山古墳や金蔵山古墳のように初期の古墳において大量に鉄製品が出土していることから、製鉄の起源を弥生時代にまで遡るものと見る説もあります。
 いわゆるヤマト王朝の古墳の形態からこの吉備からの王朝移動の結果ではないかと主張する学者もおります。
 この弥生時代については、2003年に国立歴史民俗博物館が、放射性炭素年代測定で弥生土器に付着の炭化米の測定結果、弥生時代(もうこの呼び方を変えてはどうかという意見も出るくらいです)は紀元前10世紀に始まることを明らかにしております。

 そして次回はそれよりもっと前の時代の「禹の足摺」の深層をもっと掘り下げようと思います。

 https://youtu.be/iyzBC7GiesA
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