yiyin31405222’s diary

二万年後の銀河を考える。

移動の民

「ジョン・ナック 『禹』の足摺の深層」その三 列島に至る長い移動の苦しみ

 『禹』について語った私ジョン・ナックは、 Yin Yi の『宇宙の組成と日本人の組成』という短い文章に触発されて、さらに日本史の真なる基層を掘り出したいと思います。

 最初の日本人が列島に辿りつくまでの長い時間の「ホモ・サピエンスの足摺」の歴史についてです。
 
  アフリカ起源のホモ・サピエンスホモ・エレクトスの共通祖先が分岐したのはおよそ20万-180万年前。だいぶ幅がある年代想定ではありますが。
 その起源が東アフリカにあるとされています。 一説によると、7 万年前頃にアフリカを離れて長い歳月を経て世界各地へ広がり、先住のネアンデルタール人ホモ・エレクトスなどとの交代劇を繰り広げました。
 そして、3万年前に絶滅しているネアンデルタール人ホモ・サピエンスネアンデルタール人の共通祖先から50万年前に分岐しましたが、ホモ・サピエンスは先に出アフリカを実現していたネアンデルタール人と混血しながら、北・東に拡散して行きました。当然、ユーラシアの東端に辿り着くまでにはその移動の距離を進んだ日本人の先祖が一番、ネアンデルタール人の血を濃いものとしているのは間違いではありません。それも「棲み分けの原理」に従って、環境の変化(どちらともとれる、環境悪化、食物の生育が豊かな多雨的時期)に伴って、譲る側が、移動を選択したのではないでしょうか。
 以下、日本人のハプロタイプの種類をおさらいしつつ、日本列島に到達した 約 4 万年前までの航跡をなぞってみましょう。全然興味のない人にはちょっと苦痛でしょうけど、まあ我慢してください。ただし年代の確定については研究、学者間で定説はありませんが、ホモ・サピエンスの「出エジプト」ならぬ、「新・出アフリカ」の 約 7万年前から列島到達の約4万年前までの話しです。

 38.8パーセントのD1a2aの元の D はハプロタイプ DE から 、中央アジア辺りで、分離しました。それがおそらくスンダランドの水没によって舟により北上してきたのが日本人の先祖ということで、日本で後期旧石器文化を形成したのです。E は後のユダヤ人に通じる人たちです。最近になっていわゆる「日ユ同祖論」が盛んになるのですが、その時期に、ユダヤ人の祖先のハプロタイプ E と同種であったことは特出すべき事実で、驚きです。
 5パーセントの C は、ハプロタイプ CF から分離し、F は、今、東南アジア、長江付近の人たちに濃厚に有してます。面白いことに日本人にも少々混ざっていて、日本人のアスリートに濃厚なのです。
 満州、朝鮮、インドネシアに散在する33.5パーセントのO1b2のが分離する以前の O は NOから、4 万年前に分離しています。ハプロタイプ N はシベリア辺りで濃厚。
 16.7パーセントのO2はハプログループはほぼシナ・チベット語族で、下位に分離したのはミャオ・ヤオ語族、オーストロネシア語族とも関連する。そのうちの65.7%の漢族や 86.7%のビルマ系民族、50.9%の朝鮮人に高頻度であり、東南アジア人でも中頻度で見られる。モン・ミエン語族に濃厚で、大渓文化(だいけいぶんか)は、重慶市及び湖北省から湖南省に紀元前5000年頃から紀元前3000年頃にかけて存在した新石器時代の文化です。
 まとめますと、ハプロタイプ各種は、それの上部種から分離してきたのですが、環境の変化に対応して体質が遺伝子に影響を与えて生成されてきたのでありましょう。
 ここで特筆すべき点は、かの今西錦司が『生物社会の論理』 (1949) において、「棲み分け理論」を構築して、ホモ・サピエンスの繁殖、分離、移動にも関わる、という考え方が適応されると思うのです。各ホモ・サピエンスの集団がユーラシアの大平原で繁茂し、それぞれの社会的適応性の差異にしたがって、それぞれが住みやすい環境に移動していった、と考えられます。それが徐々に概ね東方に新天地を開き、さらに移動して行った平原で、更なる分化が起きた原理であろうと思われます。その様態は、「遠慮」という状況も加わって種族同士の少しの意識の差異によって分離していったのでありましょう。
 最後にもう一度、「日ユ同祖論」について少々述べますと、いわゆるAlu配列と呼ばれる約300個の特定の塩基配列(YAP+因子)を持つのはDとEのみであり、つまりYAP遺伝子というものがハプロタイプ DE に存在していますが、YAP遺伝子は中国人、韓国人にほとんどみられません。
 アジアの中で大変珍しいのです。それが日本人に多くみられるのです。
 そして、最終氷河期が終わりかけた頃の 1万 7千年前にベーリング海を越えた種族、ちょうど縄文文化が誕生した頃です。彼らは、南北アメリカ大陸のインディアンの男性にY染色体のYAP+が多く見られることから、インカ、マヤ、アステカを築いたのは、縄文人の元である列島に移動到達した日本人の先祖であった可能性が浮かびあがってきたのです。
 日本人の祖先は勇敢な「移動の民」であったのです。

https://youtu.be/vGCtK0WCe88
 
ジョン・ナック 「歴史思想書」より
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