yiyin31405222’s diary

二万年後の銀河を考える。

私の近所にある14500年前の縄文遺跡

私の近所にある14500年前の縄文遺跡

 ここは東京の北東約100キロです。茨城県ひたちなか市中根後野(うしろの)。遺跡から発掘された埋葬文化財は、近くの市の埋葬文化財センターに展示されています。
 因みにこの埋蔵文化センターは、古墳時代最後期の「虎塚古墳群」 に隣接していて、それについても、「装飾古墳」ということで、脚光を浴びてはおりますが。
 ここの土器の発掘はアジアで最も古く、中国ではそれよりは後に、1万年前が最古だと聞いています。縄文土器と言っても、縄の模様はありませんが、縄文土器成立前の「無紋式」です。ここ日本列島では本州島がはるかに古く、 本州北部の青森県には、ここより1000年前の15500年前の青森県にあります。 後野の遺跡は、太平洋から約5キロ内陸にある標高30メートルの平坦な台地にあります。 ここの遺跡の特徴は、それが奇跡的に文明の起源の謎を与えたことに驚くべきことでした。
というのは、 石器による分類での時代区分では、新石器時代晩期と呼ばれるその時代は、最後の氷河期の終わり近くでした。 移行期間の状態を明確に示す発見がありました。 土器の近くに細石器の刃が同時に発見され、また同時にカモシカの鎖骨が並んで発掘されました。 では、ここから画期的な真実が見えました。
 ここからどのような歴史的変遷を知り得たか? カモシカの骨を縦につなぎ合わせてポット形式にして一種の水を入れられる機能の器として用いられたのです。
 それはまた、この移行期に、地球温暖化の影響でカモシカが絶滅した後、人々は困っていました、が人々は地面の粘土からそれに代わるものを発見したのです。
 今でも土器によって人類の定着化が成立したのか?或いは定着化のせいで土器が発明されたのかの論争は続いていますが。
 細石刃は、当時流通していた黒曜石の代替品として通常普及されていたものと考えられます。この黒曜石は後の鉄よりも鋭く、非常に有効な道具でした。
 当時の土着文明についての事例を挙げますと、日本の縄文遺跡より後、約1000年経ってアフリカのスーダン辺りの定着化の遺跡が発見されております。 当時、サハラ砂漠は森林地帯で緑豊かな土地でした。 それが今日のような砂漠地帯に変化し、後しばらくしてエジプトに輝かしい文明が開かれたことは誰でも知っていることです。ところが、そのエジプト文明サハラ砂漠の拡大化で、そこから移り住んだということはあまり知られはいませんけど。
f:id:yiyin31405222:20211104010902j:image
f:id:yiyin31405222:20211104010915j:image
f:id:yiyin31405222:20211104010926j:image