yiyin31405222’s diary

二万年後の銀河を考える。

新たな大航海時代へ

「新たな大航海時代へ」    
 
 「ファウンデーションの夢」の第一部その9で、ロボット・ダニール・オリヴォーは、地球内から発して来た「光」をまともに受け、時空を超える能力を身につけ「不死の従僕」へと自分が変化したことに気が付き、人間社会、文明の「本当の意味」を知り得ます。日本の美の究極を貧しくとも聡明な「紅皿」に見出だし、そこから銀河再生への構想が突如として与えられたのです。この室町時代に江戸を拓いた太田道灌に「人間とはなんぞや?」をたった一行の短歌で、暗に教え諭した女性が、ご存知のように「紅皿」でした。
 僕はつねづね、この出来事がもっとも日本人の生きざまをリアルに体現しているものと考えております。
 そのそもそもとは、遥か四万年前に日本列島に漂泊した我らのご先祖様から脈々と伝えられきた精神風土だと思うのです。そしてそののち、我が民族は、約一万五千年前、一定の土地に定着し、土器を考案した所為「世界初の縄文文明」を切り拓いたのです。ですから堂々と誇をもてる民族であることを思い起こすが今、もとめられているのです。
 この定着について少しだけ捕捉してみると、「移動(漂泊)」と「定着」は、同時に本質の部分で両義的に今日まで我が日本人の奥深くになお残存しているものと信じています。

 縄文はその意味で、二重の意味を今に生きる私たち人間に突きつけています。大変大雑把にいえば、停滞はある面、日本の究極性を浮き彫りに出来た長所も見いだせますが(平安、鎌倉、江戸文化)、定住の意味は両義性があります。
 中国の古代冥冥期文明は「夏」と言われますが、聡明な料理人「摯」は、自分の生い立ちが「伊水」の氾濫で流されて、拾われた身分であり、「商」(殷)の人たちの活発さと文字、そして移動できる乗り物(戦車)を目撃した時に新しい世界が訪れたことを悟ったのでした。
 世界で冠たる縄文文明は「定住」で先駆けとなったわけですが、その定住の知恵は約十万年に亘るユーラシア大陸大移動の結果であり、それゆえに途中、前人類との混血、吸収によって他の現生人類との微妙な差違を生じた結果であったわけですが、その反面、かえって本来の「移動の民」の本質を見失う結果をももたらしてしまったのです。
 はたして日本はどこに向かうのでしょうか?あの奇才、小松左京の「日本沈没」が、新たな日本像、日本人像を提示したことを改めて考えてみたいのです。
 
 若い頃、私が触発された学者に、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドがおります。彼の『科学と近代世界』の中に「人類は樹上から平原へ、大陸から大陸へ、...移動を続けてきた。人間が移動を止めたとき、もはや生の向上を中止するであろう。身体の移動も重要であるが、人類の魂の冒険-思想の冒険、熱烈な感情の冒険、美的経験の冒険は、なおもっと偉大なものである」
 今、日本人の誇りと希望が埃(ホコリ)とともになぎ倒れそうではありませんか。しかしそれに気がつくのが、今、ぎりぎりに間に合っているとの確信があります。まだ遅かないと。
 
 数奇な伊尹と同じような物語がエジプトにもありました。伊尹から300年後には、シナイ半島で長い漂泊の後に蜜とミルクの流れるカナンの地にイスラエルの民を導いたモーセが、またナイル川から拾われた人物でもありました。

 僕の小説では、故郷地球(アタカナ)から飛び出し、天の川銀河を横断し、銀河の端の星ターミナスに謎の記念碑「黒い涙の太陽」をセットした後に、この銀河を離れて新たな隣の銀河に向かった「ニフ人」たる民族を描いています。

 この人生の意味にお気づきのお方が、もしもおられるようでしたら僕とご一緒に「新たな大航海時代」の中に「移動の真の意味」を見いだして行こうではありませんか!

https://youtu.be/dlyiRYlcQoQ

伊尹
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